むちゃくちゃ久しぶりに買ったマンガ
4巻の黒服男子のチーズフォンデュのくだり、むっちゃ吹いた。
若杉高原おおやキャンプ場
仕事休んで日月で来てみました。いい感じでしたなあ。
サイトの作り方がだいぶこなれてきました。ロープワークが使えるようになってきて、右に追加で日よけを作ったりした。あといろんなところにロープ這わせてものかけたり。
楽曲のデモを作る方法(ギターが弾けてパソコンが得意、そこからの)
そこそこに器用で、ギターが弾けてベースも弾けてドラムも簡単になら叩けてしまう。とにかく音楽が好き。だから曲も作れるはずだしアレンジも可能。おまけにパソコンも得意でソナーやキューベースなどのDAWの使い方も覚えてしまった。
そんな人がみんながみんな、当然のように幸せな創作活動をやりはじめ、続けられるかというと、きっと違うのである。ここまできてからの壁の高さが実は相当に高いとぼくは思う。ロックなチューンをバンバンレコーディングして、バンドのみんなにどうだと聴かせ、スタジオに向かえばいいはずなのである。しかし、できない。
ひとつには、適当に自分の好きなギターフレーズを録音してエフェクターで遊んだり、どうでもいいアンサンブルをいれてみたり、創作活動でないただの機械いじりに浸ってしまうこの危険性もある。
それも含み、オリジナル楽曲のデモをどう自分の頭から捻り出してそこにある形に変えるか、それは全くだれも教えてくれない。指示も出してくれない。そこからは創意工夫で自分のやり方を見つける必要がある。
とにもかくにも、適当なコード進行とメロディを決めて、しゃくを決めて、ギターを弾いて、歌なんかも吹き込んで、ドラムを叩いてみる。この辺でなんか細かいことが気になったり、自分が作ろうとしているものが1ミリもかっこよくないんでは、とか思ったり、気がついたらまた機材の性能実験みたいなことになったりしてて、最後は「もういいや」とプロジェクトを吹っ飛ばす。こんなことになったりしないだろうか。
ぼくはやった。脳の中にある、こんなイメージのきょくができたらいいかも、という立体的な輪郭は、本当の本当に一瞬で消え去る。4分くらいの曲を作るつもりで、ほぼすべての構想ができてからギターを握ったつもりだったのが、イントロのリフでやたらに悩んだ瞬間に「なにがしたかったんやっけ?」と虚無感に教われ、やめてしまう。
結局、スタジオでみんなで音出しながらやった方がいいよね~、とかに逃げてしまう。
ぼくはこれを乗り越え、ひとつの方法論を手にいれた。こんな曲を作りたい!と胸からなにか湧いた瞬間から、よし、これでバンドメンバーに聴かせよう!という4MBくらいのMP3ができあがる瞬間までのプロセスだ。それも結構自信があるで気になってきていて、結局、歌詞とメロディと全体の粗いアレンジがわかるデモをぼくは30曲くらいはつくってバンドに持ち込んだ。時間とアイデアさえあればもっともっと作りたい。
何回かに分けて、このプロセスを説明していこうかと思う。
笠形山の頂上360度展望ですごくいい
恒例のキャンプ登山、3/4と5の土日は多可町の笠形山。
ネイチャーパーク笠形といういい感じのキャンプ場を貸しきりで利用。ちゃんこ鍋を焼いたり手羽先を焼いたり、軽くビールを飲みながら野津さんと語らっていたらあっという間に暗くなって寒くなっていく。
すぐ横に畑があっておじちゃんやおばちゃんが世話をしている。二人くらい話してて仲良くなった。わしも8時くらいなったら、いっぱいやりに寄せてもらおうかの、みたいなことをおっちゃんがさらっというので、え?ってなったけど結局それはなかった。
なぜか全くわからないけど20時までに片付けをさっさとしてしまってためしに寝袋に入ったらそのまま寝てしまう。不覚。
登山は快適だけども、道がちょっと分かりにくいのと傾斜が凄かった。沢から離れたと思ったところからがすごい。天の邪鬼の力水過ぎたくらいからか。
頂上はすごくいい展望。カップ麺は相変わらず旨かった。
今いっぱしのそのドアのの向こうへいってしまえオレの意地と闘争心
アタマのなかは、色んな思考とか感情とか論理が駆け巡って大変だ。そこからいみのあるつながりをまとまった文章にするのはすごい大変だ。酔ってたらなおさら。
こんなときは人の幸せを願おう。家族とか友達とか人類のことを祈ろう。
北関東、来た感動、足がふらふら倒れそうな反動
花粉症の季節がもう目前。とりあえず去年の残りのオロパタジンを飲み始めた。しっかり効くといいな。
山登りの本を読んでいて、結構すぐにどんな本でも"人はなぜ山に登るのか"というコテコテのテーマを考えたりするのですが、ジョージマロニーが"そこに山があるから"と答えたのはある意味すごいようで、実際どうでもいいといえばどうでもいい言葉でしかない。
最近みたのは、夢枕獏の本の中で、人は衣食住をすべて得たらなんもせずに座ってればいいかというと、それではすまなくて、別の乾きを見つけてそれを潤すために行動を起こすものだ、みたいな視点を起点に考える人がいる。此れは納得するし、登山に関係なく色んなことに説明がつく。
それと、承認欲求があらゆることの原動力になり、高名な登山家も結局は「人に誉めてもらいたくて、誉めてもらいたくて、しょうがない。だからひとりで山にいって、危ないことをする」だとか。それもそうなのかもな。
僕はきれいで突き抜けた景色が大好きで、汗を気持ちよくかけるから登山をしておるだけですけども、そんなことがなんだっていわれたら、確かになんで、わざわざ危ないとこにひとりでなあ、ともおもう。
とかいいつつ、早く愛宕山登らないとな。花粉がひどくならないのを願おう。。。